杉戸は、日光街道に面し杉林が多かったことから「杉の渡」と言われ「杉戸」になった。「目沼浅間塚古墳」、旧街道の「一里塚」など文化財と夏期のなつまつりや古利根川での流灯祭でにぎわう。
三本木一里塚
左右に縦横約9メートルの塚の上に榎が植えられていたが明治時代に交通発達のため取り払われた日光街道一里塚だそうです。
関口酒造
古民家
古民家
本陣跡
大島有隣遺跡
大島有隣は宝歴五年(1755)12月4日にこの地に生まれ、天明元年(1781)27才の時、江戸で心学を学ぶ。この「恭倹舎」を建立し農民や町民に講説した。
茨島一里塚
西近隣公園
街の一角にある公園で、駅前の遊歩道など住まいや学校、公園を緑の散歩道で結んだ緑豊かな杉戸西特定土地区画整理事業で昭和62年3月に完成した街です。散歩道に沿って12のポイントに緑のスポットサイン(案内板)があります。
庚申塔
上高野村道路元標
御成街道ぞい石井酒造前の橋のたもとに建てられていたものを平成二年一月の歩道工事のとき旧日光街道ぞうでもあるこの場所に移転した。道路元標は大正八年(1919)に道路の測定のため各市町村に一か所づつ建てられたとのことです。(説明板より)
御成道合流地点
川口・鳩ケ谷・岩槻を抜け幸手に至る御成道は家光の時代より将軍が東照宮に参詣のために通行していた。ここで日光街道と合流した。羽生道と呼ばれる地元の道も合流しており多くの旅人が行き交ったとのことです。
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