窮民救済の碑
1834~36に全国的な大冷害があり大凶作で飢餓が多数あり、中村彦左衛門が預金の元利金を与え飢餓を救ったという。
清蔵院の山門
寛永十五年(1638)建立。欄間の龍の彫刻などが江戸初期の面影があり、日光東照宮造営の工匠による建立というまつわる伝説がある。
きょうだい様
蒲生の一里塚
埼玉県内日光街道筋に現存する唯一の一里塚。
藤助河岸跡
当時、年貢米や商品荷の輸送は江戸へ直送できた綾瀬川に集中し、藤助河岸は地の利を得て特に繁昌したという。
百代橋
草加松原
矢立橋
札場河岸公園
野口甚左衛門家の屋号「札場」からいわれるようになった。
甚左衛門堰
二連アーチ型の煉瓦造水門。この種の煉瓦を使った最後期を代表する遺構である。(説明板より)
おせん公園
せんべい発祥の地碑。1992年11月に草加煎餅協同組合と草加地区手焼煎餅協同組合が募金で建立。せんべいを花崗岩にせんべいを焼く箸を御影石にそれぞれ見立てている。
日光街道草加松原に旅人相手の茶屋でおせんさんのつくった売れ残りの団子を捨てていたのを見た武者修行の侍が「団子をつぶして天日で乾かし焼餅にしたら」と教えられたのが始まりだそうです。
日光街道草加松原に旅人相手の茶屋でおせんさんのつくった売れ残りの団子を捨てていたのを見た武者修行の侍が「団子をつぶして天日で乾かし焼餅にしたら」と教えられたのが始まりだそうです。
神明神社
草加宿の総鎮守。元和元年(1615)、与左衛門の名主吉十郎の祖先が宅地内に小社を建立したのが始まり約100年後の正徳三年(1713)にこの地に移ったという。
おせん茶屋
旧日光街道に面し茶室風の造り。草加せんべい伝説上の創始者「おせんさん」にちなんでいる。
清水本陣跡碑
昭和初期まで塀の一部があったそうだが、現在は面影がない。
草加神社地蔵堂
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