火あぶり地蔵
保木間氷川神社
明治5年に伊興氷川社から分離して保木間村の鎮守となった。保木間の地名は平安末期に西国の武士が木の柵を設け田畑を起こしたことによるという。
増田橋
島根鷲神社
日光道中石碑
水戸道中分岐
名倉医院
横山家(伝馬屋敷 地漉き紙問屋)
横山家は屋号を「松屋」といい江戸時代から続く地漉き紙問屋。江戸時代後期の建造だが昭和11年に改修が行われている。上野の戦いの彰義隊が切りつけた玄関の柱や戦時中の焼夷弾が貫いた屋根など歴史を語っているという。(説明板より)
千住ほんちょう公園
慶長二年(1597)人馬引継駅として以来宿場となった。寛永二年(1625)東照宮建立により日光道中初宿として、また江戸四宿(他、東海道品川宿、甲州道中内藤新宿、中山道板橋宿)の一つとして繁栄したという。
問屋場・貫目改所跡
宿場は幕府の許可を得た旅行者には人足と馬を提供すりことが義務であり千住宿は50人、50疋だった。この問屋場で人馬の手配をしたという。また、寛保3年(1743)には貫目改所と荷物の重量を検査する秤が備えられ、荷物制限と運賃を徴収していたという。平成12年(2000)の発掘調査により当時の位置・範囲が広場の部分に推定されている。
矢立初の芭蕉像(奥の細道プチテラス)
芭蕉奥の細道矢立初句碑
千住大橋テラス
素盞雄神社
0 件のコメント:
コメントを投稿