2013年5月25日土曜日

杉戸 ポタリング

 杉戸は、日光街道に面し杉林が多かったことから「杉の渡」と言われ「杉戸」になった。「目沼浅間塚古墳」、旧街道の「一里塚」など文化財と夏期のなつまつりや古利根川での流灯祭でにぎわう。
ルート:

三本木一里塚
 左右に縦横約9メートルの塚の上に榎が植えられていたが明治時代に交通発達のため取り払われた日光街道一里塚だそうです。

関口酒造
古民家

古民家


本陣跡

 旧街道


大島有隣遺跡
 大島有隣は宝歴五年(1755)12月4日にこの地に生まれ、天明元年(1781)27才の時、江戸で心学を学ぶ。この「恭倹舎」を建立し農民や町民に講説した。

茨島一里塚

西近隣公園
 街の一角にある公園で、駅前の遊歩道など住まいや学校、公園を緑の散歩道で結んだ緑豊かな杉戸西特定土地区画整理事業で昭和62年3月に完成した街です。散歩道に沿って12のポイントに緑のスポットサイン(案内板)があります。



庚申塔

上高野村道路元標
 御成街道ぞい石井酒造前の橋のたもとに建てられていたものを平成二年一月の歩道工事のとき旧日光街道ぞうでもあるこの場所に移転した。道路元標は大正八年(1919)に道路の測定のため各市町村に一か所づつ建てられたとのことです。(説明板より)

御成道合流地点
 川口・鳩ケ谷・岩槻を抜け幸手に至る御成道は家光の時代より将軍が東照宮に参詣のために通行していた。ここで日光街道と合流した。羽生道と呼ばれる地元の道も合流しており多くの旅人が行き交ったとのことです。

粕壁 ポタリング

東陽寺

粕壁宿の説明板
 江戸時代元和二年(1616)に日光道中千住宿より数えて第4の宿場に定められたそうです。日光東照宮が完成すると一段と発展したそうです。

小渕一里塚跡

小渕追分道標

小淵山観音院
 「毛のいへば 唇さむし 秋の風」と詠まれた芭蕉の句碑、市内唯一の楼門(仁王門)、七体の円空仏があり、楼門は春日部市指定の有形文化財に指定されています。



庚申塚・道標
 天明四年(1784)堤根村の農民四十二人が新川村(春日部市)の石工・星野常久に作らせ、道路向かいの高野家は立場を営み、多くの人々がこの道しるべを見ただろうという。

2013年5月8日水曜日

草加 ポタリング

 慶長十一年(1606)、当時日光道中の千住と越谷の間は沼地が多いいため大きく迂回していたが大川図書という人物が村民とともに茅野を開き、沼を埋め、まっすぐな新道を開いた。この時、沼地の造成にたくさんの草が用いられたことから「草加」と呼ばれるようになり、その後、千住・越谷間に宿駅として寛永七年(1630)に草加宿が指定されたということです。

ルート:


窮民救済の碑
 1834~36に全国的な大冷害があり大凶作で飢餓が多数あり、中村彦左衛門が預金の元利金を与え飢餓を救ったという。

清蔵院の山門
 寛永十五年(1638)建立。欄間の龍の彫刻などが江戸初期の面影があり、日光東照宮造営の工匠による建立というまつわる伝説がある。


きょうだい様

蒲生の一里塚
 埼玉県内日光街道筋に現存する唯一の一里塚。

藤助河岸跡
 当時、年貢米や商品荷の輸送は江戸へ直送できた綾瀬川に集中し、藤助河岸は地の利を得て特に繁昌したという。


百代橋

草加松原






矢立橋

札場河岸公園
 野口甚左衛門家の屋号「札場」からいわれるようになった。

甚左衛門堰
 二連アーチ型の煉瓦造水門。この種の煉瓦を使った最後期を代表する遺構である。(説明板より)

おせん公園
 せんべい発祥の地碑。1992年11月に草加煎餅協同組合と草加地区手焼煎餅協同組合が募金で建立。せんべいを花崗岩にせんべいを焼く箸を御影石にそれぞれ見立てている。
 日光街道草加松原に旅人相手の茶屋でおせんさんのつくった売れ残りの団子を捨てていたのを見た武者修行の侍が「団子をつぶして天日で乾かし焼餅にしたら」と教えられたのが始まりだそうです。


神明神社
 草加宿の総鎮守。元和元年(1615)、与左衛門の名主吉十郎の祖先が宅地内に小社を建立したのが始まり約100年後の正徳三年(1713)にこの地に移ったという。

東福寺


おせん茶屋
旧日光街道に面し茶室風の造り。草加せんべい伝説上の創始者「おせんさん」にちなんでいる。

清水本陣跡碑
昭和初期まで塀の一部があったそうだが、現在は面影がない。

草加神社

地蔵堂