2014年8月27日水曜日

レジャーサイクラーとは


サイクリングする人(以下、サイクラーと記す)について書いてみた。


(本サイトでの)サイクリングの定義は休日を自転車で散歩することである。

つまり、本サイトで登場するサイクラーは、「レジャーサイクラー」となる。

サイクラーに対してはよく以下の嫌なイメージが浮かびがちである。

 ・けったいな帽子

 ・恥ずかしげも無くすけすけでピタッとしたパンツ
 
 ・派手な色彩のこれまたピタッとしたシャツ

 ・暑い日は暑く、寒い日は凍える

 ・人力なのでくたびれる

前3項目まではロードサイクラーをイメージし、

4、5番目はママチャリを意識しての感情だろう。


ロードサイクラーについてだが、

昨今、ツールドフランスをテレビで見る機会がある。

かなりスリムな体型でさっそうと田園を軍団が走る光景は魅力的である。

ロードサイクラーを楽しむ人とは、

 そういうプロを目指す人、

 スリムな体型になりたい人、

 魅力的にスピードを楽しみたい人など

があげられる。

だがら、そういうことを必要としない人は前段の嫌なことをすることもないのである。


ちなみに、

派手な出で立ちは、目立つことで存在を示し交通事故を防ぐため、

ピタッとした服は、風の抵抗を無くしもっとスピードを出したいため、

ヘルメットは、スピード衝撃から体を守るために

軽くて風の抵抗を無くし強度なものとしたらあんな形状になった

ものである。

また、

ドロップハンドルは、握る位置で姿勢を変えることで

必要なときに風の抵抗をなくす前傾姿勢になれる重宝もの。


よって、ドロップハンドルもサイクリングには必要ない。

公道をすばやく移動したいときは必要だが、

大方、

オフロードもお構いなくどこでも走るとなると、

ハンドルを取られずにしっかり走るため、

ドロップハンドルは不向きでかえって危険である。



次に、ママチャリについてだが、

もちろんママチャリでのサイクリングはお薦めしていない。

日常利用する実用自転車としては利便があるのだろうが、

以下の(くたびれる)理由でサイクリングには不向きである。

・サドルが柔らかく安定性が悪いため運動トルクが有効に伝わらい。

また、高くすると危険。

(サドルを高くする理由はまた後日書かせていただく)

・泥除け、かご、(ママ本来のチャイルドシート)など

余計な重量による余計な運動エネルギーがかせられる。

そして重いので担ぐことができない。

(泥除けは日常でも必要ないと思うが《後日》。)

・パーツすべてがやわく、効きがあまい。

(ちなみに、私のバイクのフレームは永久保証書付である)

・タイヤが脱着できないので、輪行(自転車を持ち込んで電車で移動すること)ができない。

 また、パンク修理が簡単にできない。


レジャーサイクラーは、

自転車が体の一部になっており

どこへでも(日常も)一緒にいける自信がある。

自転車が(上述した)それなりのもので、それと共にした経験が相まってくる気持ちである。


                   では。


















2014年8月5日火曜日

将来への発見をすること

当サイトでは、

 ・仕事の疲れを癒すこと

 ・将来への発見をすること

 ・運動不足を補うことなど

効果があればいいとある。

疲れを癒すことや運動不足を補うことはわかるが、将来への発見とは何だろう。


「将来」とは、意気揚々の若年の世代では今の職場でのキャリアアップすることが

直近の未来(将来)だろう。

生まれて、小学校、中学校、高校と教育を経てどう将来はあるべきか考えながら、

目標を定め就職し社会人となる。

社会の責任を背負いながら職をたかめ部下を育成しさらに極めていく。

だが、ここでいう「将来」とはこの意味ではない。

決められた社会というレールに乗って走ることだけでなく、

休日にこのレールから外れて走ってみる。

すると、

いつもの極めた環境からは見られない発見があるだろう。

それには、今すぐではないが将来あらたな目標になるかもしれない。

そんな将来の発見のことである。



少し掘り下げてみる。

ついこの間、ラジオで高校生自身の論文発表会が流れ、聞き入ってしまった。

自分自身の(忘れていた)その時代の気持ちがふと思い起された。

社会とは義務であり、好きなものを我慢して頑張らなければならないという

社会をまじかに控える高校生の嘆き的な考えである。

大学に入れば、ある程度専門的になり自分のやりたいことに近づいた気がするが、

社会が必要とするテーブルに乗っていることには変わりはない。

クリエイティブなこと、ベンチャーなことは土台(ベース)があるから成立する。

ならば、この土台とは今の社会であり、それが必要とする義務教育であろう。

クリエイティブやベンチャーは必要である。

クリエイティブやベンチャーの積み重ねが今の社会がある。

では、今のテーブルに乗っているだけではいけない。

常にクリエイティブなこと、ベンチャーなことを考え発見する義務もある。

クリエイティブなこと、ベンチャーなことが、正にここでいう将来発見すべきことである。

クリエイティブなこと、ベンチャーなことは、

環境や発想を変えることでいままでの土台と重なって発見につながる。

レジャーはそれを導き出す助けとなる環境や時間を提供してくれるのである。